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2006年07月01日

有限・無限

今日のゼミの発表多分が何だか感じにまとまった。 (自分の中で)

でも、最近わからないことが多い。
自分無知だなぁって心底思う。無知は怖い。

メディアって何??

メディアを学問として考えるって難しいと、 痛切に感じる。
ゼミの研究テーマとして大聖堂の持つ意味みたいなことを調べています。
建築物のメディア的意味…
その時代におけるまなざしだけではダメなの??
その時代にどのような役割・意味を持ったか、
本来の意味から異化して違う意味になったこと、
外部メディアと内部メディアの役割の違い、
そして建物の装飾の違い…。それだけではだめなのか???
メディアとして読み解くって難しい。。。

今まで1つだったものの見方が、
ある一定の時代・価値観をもってから、
それらがはっきりと違うものに見え出す。
これがメディア的意味を持つ…

難しい…。

今日の一番の盲点だと思ったことは、「無限」
有限のなかに無限を作り出す。 それってすごいと思わないだろうか。

一定のリズムの反復=有限の中の無限

現実としては有限で、 ある点に達すると終わる世界。
しかし、その事象が一定のリズムを持つことで、 それが、“現実”には終わってしまっても、
私たちは感覚として、永遠とそのリズムを 保ちながら続いていくことを理解・想像できる。
こんな計算をされながら建築されている大聖堂とは、すごい意図的な建物だ!!!!
素敵過ぎる… 何でそういう空間になっているか、それは大聖堂の内部が神聖な場所だからだ。
精巧に計算され尽くされているなんて。。。

無限かぁ。。。

楽しい時間が無限だったらいいのに。
でも、楽しい時間が有限でその余韻が無限だから、 世の中は楽しく悲しく成り立っている。
その余韻、幻のために学び・働き・生きていく。 人間って生き物はなんて興味深い生き物なんだ。

無限って概念は有限があるからこそ引き立つ。
その存在意義は単独では美しくない。
儚いっていう単語を作り出すのはすごい。

人の夢。それは無限なのかもしれない。

Posted by おはる at 01:15│Comments(0)
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